当サイト管理者&整体サロンやすらぎどう院長プロフィール

hiro2012-2b 渡辺 洋史(ヒロ)

・整体師
・ダイエットセラピスト
・カウンセラー
・ダイエットレギュラー&シニアマスター
・日本DRT協会公認アドバンスインストラクター 

主な経歴

・高崎経済大学経済学部卒
・卒業後に数年の療養生活を経て平成8年、整体師へ。
・平成9年8月より練馬区にて整体とフェイシャルエステのサロンオープン。
サポートスタッフとしてスタート。
・途中から渡辺が院長となり「整体サロンやすらぎどう」へ名称変更。
・平成17年より女性のダイエットサポートを正式スタート。
初のモニター本田さんがハワイでの結婚式を目前に4カ月で11.5キロ

無理なく痩せることに成功。結婚式も大成功となる。
その後、念願の赤ちゃんも授かる。
・平成20年9月、現在の埼玉県所沢市にサロンを移転。
女性専門のダイエット、心と身体の健康サポート専門サロンとして
 再スタート。
現在、ダイエット指導者(ダイエットセラピスト)養成講座、

整体施術やDRT(頸椎施術)インストラクターとして技術指導などもおこなっている。

所有資格、所属団体、学んだ所など

タッチフォーヘルス公式クラス終了
・日本メンタルヘルス協会心理学ゼミナール基礎コース終了
・日本ダイエットアカデミー協会レギュラー&シニア
・YMCメディカルトレーナーズスクール
・瓜生治療室快医学30時間セミナー受講
・DRTインストラクター
・DRTアドバンスインストラクター認定

・ABCセラピーセラピスト

院長、渡辺のこれまでの経緯

群馬県出身。高崎経済大学卒。 大学在学中、モダンジャズ研究会に所属。ジャズピアノの魅力を知り、睡眠を削ってレッスン、演奏会、イベント、バー、居酒屋などで演奏活動。 ピアニストとしてつねに複数のバンドをかけもちするようになる。
在学中の二度の交通事故や、過度の睡眠不足などがたたり、卒業を目前に倒れる。
マイコプラズマ肺炎を発症(平成4年)。 内定が出ていた就職先も断り、闘病生活。 生命の危機を感じるほど弱ってしまうが、以前からお世話になっていた鍼灸の先生の所に泊まり込みで毎日鍼灸治療を受け、自然療法を実践してなんとか峠は越える。 その後群馬大学医学部付属病院へ3ヶ月以上、検査入院。 特に検査で異状がないのにかなり痩せていたため、病院では「拒食症」と診断される。
病院では異状なしでも心身の不調は続き、片っぱしから自然療法を独学で学び実践を始める。
同時に、当時高円寺にあった瓜生治療室(現在神楽坂。創設者瓜生先生は亡くなられています)に通い始める。
厳しい食事療法で一時は体重が40kgまで落込み(身長176センチ)立っていることすらできず、週2~3回の点滴で、なんとか命をつなぐ。
その後も数々の健康法、治療法をみずから徹底的に研究・実践。数々の著名な医師、治療家、セラピストのもとを訪れ、直接指導をあおぐ。

ダイエットサポートのきっかけ

体調は回復してきたものの、2年におよぶ厳しい食事制限のストレスから、摂食障害のような状態に悩まされるようになる。
平成9年に整体師としての活動をスタート。その直後に母を乳がんで亡くす。
それ以降、ガンの患者様のサポートもおこなうようになる。 整体のみでなく、さまざまな自然療法を組み合わせ自律神経失調やパニック障害など、現代医療が苦手とする症状の改善を専門とする。
2008年、父にすい臓がんがみつかり、11時間の大手術。その後、整体や食生活のサポートを父が素直に受け入れてくれて奇跡的な回復をとげ、手術を受けた病院で初のすい臓ガン回復患者として担当医から握手を求められる。以降7年再発の兆候はまったくなく、毎日畑仕事と飲酒を続けていて完治といえる。
2009年、サロンを練馬から所沢へ移転。新たに女性専門の健康・ダイエットサポートサロンとしてスタート。
現在、整体師、健康&ダイエットアドバイザー、カウンセラーとして、整体施術のみでなく、食生活をはじめとした生活全体のアドバイス、メンタルカウンセリング、健康サポート等をおこなっている。 モットーは「人生まるごとサポート」

ダイエットサポートを始めたほんとうのきっかけ

私自身はやせている方ですが、じつは過去、無理な食事制限(目的は体質改善)が原因で摂食障害になり、なかなか抜け出せず、実家のある群馬県の山奥にある依存症専門病院に入院した経験もあります。

このとき、同じように摂食障害に悩む多くの女性と関わり、無理なダイエットがいかに心と身体にダメージを与えるのか、目の前で見せつけられました。
(詳細はまた別の機会にお話します)
このときの壮絶な体験が、こうして10年以上、女性のダイエットサポートをおこなうきっかけになっているのです。